KAFKA/迷宮の悪夢 〜目玉がギョロリ、映像が格調高すぎだって

ソダーバーグ監督作品。
ずーとずーとずーと、モノクロが続く。ワタシね、昔の作品見るの好きなんだけど、ホンマに昔の作品かな?と思うほどのエエ感じのモノクロ具合っす。ネタもね、モノクロ時代のシンボリックな感じがする。何がって?ああ、階級社会とかね。『メトロポリス』ってあるじゃないっすか。市民は地上で、労働者は地下で。つーわけで、やっぱり、モグリで地下組織とかあるわけっす。モノクロの社会は管理された社会で、市民はコントロールされている。それが、いきなり、扉を開ければカラーに。
そこは科学の世界で、反抗的な市民は、脳をコントロールされてて、あんまり上手く行ってないようで、みなさん、死体となっている。でもって、やっぱり、マッドサイエンティストもいらっしゃいます。世の中良くするには、コントロールするのが、イチバンって思ってる奴。

そのへんって、ドキドキのSF設定。でも、そういうわけじゃない。
一応、主人公は、フレンツ・カフカ氏。昼はね、労働者災害保険協会で、シコシコ働いての。でも、夜は作家活動を。この設定はホンマらしい。カフカ氏、あの『変身』のカフカ氏ね。『城』とか、彼の作品のモチーフがイッパイ出てくるらしいけど、私にはそこまでわかりません。

ただ、ただ、プラハ(これもカフカ氏のいたとこ)の街のモノクロ映像がスゴイの。
証明とか、カメラアングルとか。湿った石畳つーか、モノクロだからワカランけど、それがね、下から遠近でガーと半分くらい画面を占めて、地平線にあたるところに、登場人物が密談してて、人物のカゲが地面にある、みたいなの。ああ、それと、レジスタンスっぽい方々のいる、屋根裏とか、墓地とかね、陰影のマジック。モノクロっていったら、やっぱり、光と影の陰影じゃないっすか。芸術よ、も〜芸術。

はい、白状します。ちょっと、眠くなりました。
絵画的才能ってのと、エンタメってのは、かな〜り、開きがあるのです。
もし、もっと元気だったら、疲れてなかったら、というのはあるのですが。

こうやって書いて残すかと思うと、弁解したくなることがありまして、この作品、その芸術性と、志の高さにおいては、観るべきものは沢山、あります。ソダーバーグ監督の才能ってのもあふれるほど、観れます。才能を観るってのは、間違いなく刺激です。刺激は映画に必要。弁解ってよりは、本気でそう思ってます。カラーになるタイミングとか、度肝抜かれるよん。

良き社会のために、一般ピープルはコントロールされるべきか。
これは永遠の命題ですの〜。



■Staff
監督:スティーヴン・ソダーバーグ Steven Soderbergh
製作:スチュアート・コーンフェルド Stuart Cornfeld
   ハリー・ベン
製作総指揮:ポール・ラッサム Paul Rassam
   マーク・ジョンソン Mark Johnson
脚本:レム・ドブス Lem Dobbs
撮影:ウォルト・ロイド Walt Lloyd
音楽:クリフ・マルティネス Cliff Martinez
 
■Cast
ジェレミー・アイアンズ Jeremy Irons
テレサ・ラッセル Theresa Russell
アレック・ギネス Alec Guinness
イアン・ホルム Ian Holm
アーミン・ミューラー=スタール Armin Mueller-Stahl
ジョエル・グレイ Joel Grey
ジェローン・クラッベ Jeroen Krabbe

ハウルの動く城〜宮崎アニメについて書くってドキドキするわあ〜。

まず、見終わって一安心したの。
ジブリのアニメは、エンタメの他に、いつもメッセージを感じてしまうのだけど、それはいわゆる、現状を否定してるとこから始まってると思うの。『もののけ姫』は自然に対してだし、『千と千尋の神隠し』にしても、アイサツとか礼儀作法とか、恥ずかしいくらい最低限のコミュニケーションの方法が欠けている現代の姿があからさまになっていて、「ああ、ごめんなさい、ワタシが悪かった」とさえ思い、千尋ちゃんの成長が、エエエエ、エライ!とさえ、思うわけなのさ。ようは、これは、ジブリさんが「上手い」っていうことであって、「上手く」なかったら伝わらないメッセージなのだと思うの。だから評価が高いってことは、ホンマもんだと、つくづく感じてるわけっすよ。

今回は、「ごめんなさい」って比較的思わなくてすんだの。
それが一安心だったのさ、まあ、反戦映画的な展開に関しては謝ってしまうけどね、現代に生きるものの一員として。でも、素直にオモシロイということだけで映画を観ることが出来て一安心。良心の呵責ってのはけっこう辛いのよ、それが、少なくてすんだ。

で、映画の話をさせてくださいませね。

まずはいつもの通り、映像における豊かな想像力ってのは、キラキラ光る宝石が散りばめられていて、それに目を奪われ、ステキでステキでワンダホー、ビューティホー状態だったのだ。ワタシは想像力ってのが大好きで、その大好きなものをいっぱい見せてもらったのだよ。

ね、例えば、ソフィが見つめる景色たち。
振り返るソフィが故郷を観ている。湖を観ている、お花畑を観ている。
それは広がった絨毯のようで、無限で、小さなところまで気づかいに溢れている。
それだけ想像力ってもんがいっぱいつまっているのだよ、それは人の素晴らしい宝物だからね、
素晴らしいのだよ。もちろん、魔法のシーンもね、カブ、ヒン、カルちゃんなどの造詣もね。
ああ、もちろんもちろん、ハウルの動く城も。

ところが、ストーリーとなると、何故か軸になるところが見つからない。
軸なんかいらないのでは、という意味じゃないの、軸がはっきりしてる。そこんとこは、さすがのジブリさんである、スゴイのさ。
例えば、恋物語としてのソフィの心の動きとかね。
ハウルとソフィは出逢うようになっていたのだよ、少年のハウルが、ソフィと会ったときから。
人が生きていることは、偶然の奇跡から知れないけど、人の心の動きの「縦の流れ」を追っていくと、案外、必然の連続なのだ。
ハウルはたまたま、ソフィに目が言ったのではなくて、少年の記憶は忘れていても、二人が出逢ったのはソフィだったから、荒れ地の魔女が呪いをかけたのもソフィだったから、彼女が毅然としていたから。あの、呪いのせいで、ソフィの性格が浮き上がってくる。そして、年齢よりも大事な、人の意志ってもんが、浮き上がってくるのだけど、そんなこんなに、辿りつくまでに、多少の時間を要してしまったのだな。

時間を要するということは、それだけ、余計なことを考えてしまうということで、それはもったいないことなのだ。軸なんか作るつもりのないような、しょーもない駄作ならいざ知らず、この映画は面白いのだよ、だから、ああ、もったいない。

なんどもソフィはキスをする。彼女は好かれている。
その理由をもっと掘り下げるだけで、それが、物語の単純な軸となってくれるのだ。
伝わってくるのに、時間が必要になってくる。
つい、ワタシは。
この物語を誤解してねーかな〜と疑心暗鬼してみたくなるのである。
それは辛いってもんですぜい、スタジオジブリさん!

まあ、そんなこんなもあるけど、印象に残ったのは、
カルちゃんがガンバローとしたとき、ソフィーのものを要求したとこかしらん。
一人ではがんばれない、それには、犠牲が必要。目玉とか、心臓とか。それは彼女の髪だったけれど、悪魔って存在は、ホント、現実的である。イイエピソードだ、お気に入りなの〜。

声優陣。ああ、原作があるのに、「アテ書き」か?とさえ思えてくる、ハウル、ソフィ。
あの声優陣だから、あのキャラクターを演じることが出来た、みたいな、ジャストフィットなとこあるんだよな〜。他に役者さん、声優さんが容易に見つからない、みたいなの。
ただ、倍賞さん、キムタクにある、イメージってのは強烈なのは確かだ。でも、映画館で見た限り、子供が「ソフィー大丈夫?」とかもらしていたので、大丈夫、なのかも知れない。我修院さんがオモシロイのはいいとして、以外に、ラストの大泉くんに注目のカブちゃん。
個人的にキムタクはキムタクらしからぬ役のアテレコで聞いてみたいな。
あんね、ようは、「アテ書き」の力を借りない、声の演技なのだ。
例えば、キムタクのカルちゃん。「おいら悪魔だよ〜」って。彼のアテレコは、可能性のあるものだったと思うのさ。

しかしなあ、結局はウレシイんだよ、ワタシ。
こういう映画を観ることができる時代に生まれて。時代には時代の宝ってもんがあるのさ。
それをつくづく感じることが出来るわけであるのだよ。


■Staff
監督:宮崎駿
プロデューサー:鈴木敏夫
原作:ダイアナ・ウィン・ジョーンズ Diana Wynne Jones
   『魔法使いハウルと火の悪魔』(徳間書店刊)
脚本:宮崎駿
美術監督武重洋二、吉田昇
音楽:久石譲 Joe Hisaishi
デジタル作画監督片塰満則
映像演出:奥井敦
効果:野口透
作画監督山下明彦、稲村武志、高坂希太郎
色彩設計保田道世
制作:スタジオジブリ
整音:井上秀司
製作担当:奥田誠治、福山亮一
録音演出:林和弘
 
■Cast(Voice)
倍賞千恵子 ソフィー
木村拓哉 ハウル
美輪明宏 荒地の魔女
我修院達也 カルシファー
神木隆之介 マルクル
伊崎充則 小姓
大泉洋 かかしのカブ
大塚明夫 国王
原田大二郎 ヒン
加藤治子 サリマン